トワイライト・インペリウム・シャタード・エンパイア:プロローグ
SEエキスパンションの冒頭を飾るラザックス帝国最期のときを描いたショートストーリー。
イブナ・ヴェル・シドはL1Z1Xマインドネットの創設者。途中で登場するガシュライ族は、SEでの追加種族「ムアアトの残り火」を構成する種族。「残り火」は最初から最強ユニットの太陽艦(War Sun)を生産できる特殊能力を持っています。
帝国の終焉。微風がサライのローブをはためかせた。静かな、暖かい夜。暮れゆく太陽の鈍い紫色は地平線にまだ見えていた。沈思と平穏にはうってつけの夜だった。
だが今はそのときではない。
成人してからの歳月の大半、サライはこのバルコニーに来て清浄な空気を吸い、メカトール・シティのきらびやかな灯りを愛でてきた。だが今夜、灯りは点々と少なく、いつもは引きも切らぬ交通もまばらで、空気は火事と凶兆の悪臭に冒されていた。サライは西を見やった。遠方に真っ黒な煙が幾列も立ち上り、西方の星々を隠していた。
「陛下?」
サライは声の主のほうに振り返りはしなかった。声は最高顧問ヴェラス・ダ・イシュヌのものだった。顧問は、夕方のバルコニー散策を邪魔することを皇帝が嫌がっていることはわかっていた。だがそれでもヴェラスはもう何ヶ月にもわたって邪魔し続けていた。サライは静かに頭を振るとため息をついた。旧友を責めることはできなかった。今は困難な時代だったからだ。
「火事は続いておる」。皇帝は西方にたちのぼる煙の柱を指した。「もう何ヶ月も燃えているが、作業は進んでおるのか?」。
ヴェラスは戸口から皇帝に歩み寄った。「火の拡大は防ぎました。作業は進んでおります。地図会館は広大で、使える資力は限られておりますので……」
「予備役の召集が続いて直轄領は疲弊しておる」。サライは頭を振った。「そう市民には伝えたのであろう?」
ヴェラス・ダ・イシュヌにも答えるすべがなかった。ヴェラスは地図会館が破壊されて以来自分の中でふくらみつつある恐怖のざわめきを感じた。ありえざることへのぬぐいがたい恐怖。
「で、イブナはどうじゃ?」。ラザックス最後の皇帝サライ・サ・コリアンは顧問のほうに向き直った。
「イブナ・ヴェル・シドについては何の報せもありません」。ヴェラスは脱走した顧問への皇帝の共感を理解できなかったし、ほめる気もなかった。反逆以前にも、イブナの存在は次第に宮廷の不和のもととなっていた。彼の神経質な嘆願はほとんどパニックに近く、現在の危機に対する長期的な解決策の決定にはほとんど何の役にも立たなかった。
「あの者の船はどうじゃ」。サライはバルコニーをゆっくりと歩き始めながら、星空をながめた。ヴェラスもそのあとを追った。
「残念ながらまだ何の消息もつかめておりません。わが海軍は……」
「皆まで言わずともよい」。サライはため息をついた。「手薄になっておるのだな」。彼の両目は、メカトールの夜空に輝く遠き恒星を見つめながら、涙にかすんだ。「ああ、イブナよ。そちはどこへ行ったのじゃ?」。サライは視線を落として旧友を見やった。「余はあの者がうらやましい、ヴェラスよ」
「あの反逆者をでございますか?」。あやうくヴェラスは自分のいらだちを表に出すところだった。「沈みかけの船から逃げ出すのはネズミであって、船長ではないのですぞ。陛下!」。口に出した瞬間、彼はその言葉を後悔した。酸のような恐怖が再び心の中でけいれんした。
皇帝のくちびるは驚きにゆがんだ。「わが船は沈みかけておるのか、ヴェラスよ?」
「そんなことはございません、陛下。そういう意味では……」
「ヴェラスよ、余が言いたいのは、余はネズミの自由をうらやんでおるということだ」
ヴェラスは立ち止まった。「晩餐会のスピーチでは使えそうにないフレーズですな、陛下」
皇帝はほがらかに笑い出した。ほんの一瞬、晴れやかな気になったのだ。「そうじゃな。使えぬな」。皇帝は友の腕をとって歩き出した。「優れた顧問を持って余は幸せじゃ。特に、けものについての愚かな言い回しをせぬよう忠告してくれた今は」。
ヴェラスは笑い返した。サライが冗談を言うのを見るのは楽しい。なかなかないことだからだ。
二人は黙ったまましばらく歩き続けた。皇帝の笑みはまもなく消えた。「余は船に残らねばならぬ、ヴェラスよ。沈みかけであろうとなかろうと。余は船と一蓮托生なのじゃ」
「御意にございます、陛下。そして私もまたわが君とともにあります」
皇帝はうなずいた。「さて、ヴェラスよ。なぜ余の散歩を邪魔したのか、その理由を聞かせてはくれぬか?」ヴェラスは皇帝を玉座の間に案内した。普通の夜ならば、広間には顧問や大使、軍士官、そして銀河のあちこちからの代表団でにぎわっているはずだった。宮廷スタッフらはぺちゃくちゃとしゃべり、権力の謀略と計画を練る人々の群れに飲み物をついだり、軽食を給仕したりするのに忙しいはずだった。
だが今夜はちがった。広間は薄暗く照らされ、おかしなほど暑く、サライの腹心の顧問たちしか同席していなかった。
そして、訪問者がいた。
異邦人の身長はラザックスのそれよりも高かった。全身を黄銅色の金属に包み、光り輝く両目だけが無表情な金色の仮面の下から燃え盛る視線を放っていた。サライはこの生き物から奇妙な熱が発散されるのを感じた。その脈打つ生きた熱は、サライが今まで知らないものだった。
いくらかかさばりそうな重い鎧に身を包んだ生き物は、慇懃にお辞儀をした。生ける炎に燃える両目は敬意を表して輝きを弱めた。
召使いがサライに金色の盆に載った翻訳機を差し出した。サライは装置を耳につけると穏やかにたずねた。「貴殿は何者かな?」
「拙者はフェラモン・アズと申します」。異邦人の声はまるで暖炉の炭がぱちぱちはぜるような音だった。「遠きムアアトのガシュライ族です」
サライは両腕をひろげて伝統的な歓迎の意を表した。「メカトールによくぞこられた。この苦難多き時代にあっても、帝国は貴殿の到来をお喜びいたす」
「お助けください」。ガシュライ族は言い始めた。「わが民は奴隷にされているのです」。生き物は皇帝のほうに一歩踏み出した。その燃え盛る目が嘆願していた。
皇帝はガシュライとジョル・ナーによる虐待の話を聞いた。生き物が話し終えると、サライは前に進んで手を伸ばし、その鎧に手を触れた。だが金属の沸騰するような熱を感じると、ゆっくりと手を引いた。
「ハイラーとは戦争中じゃ。あやつらの行いをどうこうする力はない」と皇帝は言った。広間じゅうで顧問たちが静かにうなずいて賛意を示した。
ガシュライの両目に明らかな落胆が浮かんだ。「しかしあなたは皇帝です! 強いはずではござらぬか!」。彼は言い募った。「あなたならムアアトを解放できるはず。そうなればガシュライはあなたの戦争をお助けしますぞ!」
ラザックスの提督が皇帝の耳に何事かをささやいたが、サライは手をふってしりぞけた。「わが軍に余裕はないのじゃよ、フェラモン。貴殿らの苦境には同情するが、もはや一隻たりともまわすことはできぬ」
「しかし助けていただかねば!」。ガシュライはさらに一歩進んだ。「わが民の希望は拙者のこの使命にかかっており申す。お見捨てあるな!」
「もうしわけない、友よ」。ラザックス皇帝は無力だった。全銀河が助けを求めているようだが、その実、帝国が全銀河に助けを求めているのだから。この謁見は終わった。
ガシュライの両目は再び落胆に暗くなったが、しりぞこうとはしなかった。「お待ちあれ!」。その声には切迫の色、絶望の味があった。生き物は体の脇にある小さな制御盤をさわると、熱い空気のシュッという音ともに鎧の胸部に小さな扉が開いた。親衛隊が皇帝のそばにとんできた。
ゆっくりとガシュライは容器から技術設計装置を取り出した。「もしガシュライをお助けくだされば、われらはこれを差し上げましょう」
サライは装置を手に取ると、ハイラーの設計図を見つめた。皇帝は提督にこちらへもう一度くるよう手振りをした。二人の目は、その設計図の意味するところを知ると驚きに見開かれた。
「ハイラーがこの怪物を建造中だというのか?」。サライはたずねた。ガシュライは瞬きをしてうなずいた。「わが民は何年もの間、この船を建造するために奴隷にされており申す」。生き物は悲しげに吐露した。
皇帝は提督に視線を向けた。提督は設計図とそれが約束する強大な兵器に釘付けになっていた。
皇帝が再び口を開こうとしたとき、玉座の間の扉が大きな音を立てて開かれた。ラザックス軍の最高司令官を先頭に、海軍士官と外交官たちの一団が広間になだれ込んできた。彼らの表情は暗く、何か容易ならぬ事態が出来したことをほのめかしていた。広間の中央にいる異星人に警戒しながら、最高司令官はヴェラスに近づいて耳打ちした。
「どうした?」。サライはたずねた。何かが起こったのだ。
「陛下」とヴェラスは言い始めた。「ハカンとノールが……彼らの外交団がひとり残らずいつの間にか退去していました。居住区は空っぽです」
「だがなぜだ?」とサライは迫った。しかし最高司令官の顔を見て得心した。「裏切られたというわけか?」
最高司令官は顔に深い憂いをたたえながら目を伏せただけだった。
サライは静かに大きな西の窓のほうへ移った。ガラスに近づこうとするや、最初の爆弾が落下して夜景を黄色と橙色に引き裂いた。広間にくっきりとした影が映じた。暗い上空に、サライはソル艦隊が現れる光景を目にした。まるで黒い鳥の大群のように、やがて船団が星々を覆い隠した。
サライは広間にいる人々のほうを向いた。彼らはすがるように皇帝を見ていた。あたかも帝室の血筋に何か秘密の遺産があり、それが飛び出して敵を打ち倒してくれるというかのように。だがかわりに彼らが見たのは涙だけだった。
サライは静かにガシュライのもとに向かった。ガシュライは突然の出来事に明らかに動揺していた。「家に帰りたまえ、わが友フェラモンよ。余は貴殿らの民がこの先に待つ破壊から逃れられることを祈る。もし貴殿が今夜を生きのびたら、お仲間に自ら運命を切り開かねばならぬことを伝えてはくれまいか」
最後の皇帝は技術設計装置を生き物に返した。その金属製の腕をしっかりとつかんだサライは、自分の皮膚が焼けるのも気にしなかった。「この報せはわれらには遅すぎた。持っていきたまえ。貴殿らにはまだ役に立とう!」
ガシュライが足早に立ち去ると、広間の気温ははっきりと低下した。さらなる爆発が都をゆるがし、皇帝の塔は震動した。皇帝は首から帝位の首飾りをひきちぎった。貴金属と宝石が床に飛び散った。「この黄昏の帝国は滅んだ。汝らの家族を救うがよい」
広間で茫然としていた他の人々がにわかのパニックに陥る中、爆撃の重低音をついて鋭い音が鳴り響いた。儀礼用の拳銃を自分に向けた最高司令官はくずおれた。彼の血は皇帝の装束にゆっくりとしみこんだが、サライはほとんど気づきもしなかった。
ヴェラスは今生最期に自分の皇帝のそばへと近寄った。二人はともに揺れ動く塔の中に立ちながら、彼らの都が破壊の庭園のように炎の中で散華していく姿を静かに見つめていた。
次の波状爆撃が、皇居とその中の全員を吹き飛ばした。