ウェネリア略史

 混沌、ナイサロール帝国、暗黒帝国、EWF、中部海洋帝国、そして「大閉鎖」と、大帝国や世界的災害に翻弄されつづけている辺境地域なウェネリアですが、エルフやトロウルやドワーフや魚人やドラゴニュート、と古の種族は豊富ですし、未開、蛮族、封建、君主と社会体制もいろいろ多彩でひどく想像力を喚起してくれるステキ地域ですね。
 以下は「Blood Over Gold」のp.5訳です。

先史時代
 現在ウェネリアと呼ばれている土地が“大暗黒”以前にどうであったかということについては、ほとんど知られていない。“緑の時代”と“黄金の時代”の大半を通して、まずはじめに広大なエルフの森である“大森林”に覆われていた。アーストラの森はこの大森林のかすかに残る木霊にすぎない。そして数度にわたって水が陸を侵略した。エレンプローズが海の神々をこばんだため、報復にスロントスがはじめて水没して“嘆きの海”を形成したが、この町は深海の底で空気の泡として生き残り、世代を経るにしたがって訪問は難しくなっている。
 この時代から記憶されている数少ない出来事のひとつが“猪戦争”である。神界の豚エントルリが、呪術をふるうムラロティ族と死闘の末、膠着状態に陥り、オーランスを崇めるヴィングコット人だけが勝者となった。もうひとつはアロンの襲撃である。雷鳴の兄弟らが“呪術師”セラヴスを殺して彼の獣らを盗んだのである。
 ヴィングコット人とヘラー人らは“嵐の時代”にこの地方の大部分を征服し、原住民たちはオーランス人の生活様式に取り込まれた。そのほかの場所では、西方での戦争から逃れた難民たちが海岸沿いに定着して、石と真鍮の都市を建てたが、今その民で残っている者はいない。“大暗黒”がやってきたとき、山岳や今は凍り付いている火山からトロウルが現れた土地を荒らし回ったため、強大な魔術師であるエフリムが偽りの太陽をつくりだしてトロウルらを追い払った。スパイクが爆発して混沌がほとんどすべてのものを圧倒したとき、わずかに残った哀れな難民たちだけが隠れて生きのびた。そうして“曙”に至るまでこの土地は残ったのである。

「時」以後
 孤立してばらばらだったウェネリアは“銀の時代”を経験しなかった。生き残った住人の中でもっとも強力だったのは、プラロリ族のようなスンチェン人だった。彼らは地方全域にその支配を広げた。やがて、「世界友邦評議会」が使節をこの地域に送って、“光持ち帰りしものたち”の朗報を散在する人々に伝え始めた。プラロリ族は彼らのメッセージを拒否し、まもなくより好戦的な探検隊が使節らに続いてやってきた。そして太陽暦115年、ラルマー王とその臣下であるヴァスメイ人がスロントスに定住し、まもなくプラロリ族を西方の父祖の地へと追い戻した。
 416年に、ヘリリア王国がナイサロールの光の帝国が送った“知恵の贈り物”の受け取りを拒否したとき、帝国はこの地域を服従させるために“鉄のヴロク鳥”パランギオを送った。味方にしたドラゴニュートとプラロリ族とともに、彼はこの地方全域を征服したのである。唯一抵抗したのはカクストールプローズであった。ここでは生き残った者たちが都市英雄の力を借りて抵抗した。何年にもわたってこの土地を軍勢が往来し、荒廃をまきちらした。それは、427年にカクストールプローズの戦いでアーカットがパランギオを打倒してウェネリアを解放するまで続いた。それ以後、ウェネリアはアーカットの暗黒帝国の保護下に入った。
 第二期の間、セシュネギとジルステラの航海者たちがウェネリアの海岸に植民した。だんだんとここは中部海洋帝国の支配下に入っていき、スロントス大公国が権力の中心になった。神知者の学匠らはこの地域の神話的脇道を搾取し、情け容赦なく神聖な知識を略奪した。彼らはこの土地の大地母神二人をすげ替えることすらやってのけたのだ! しかしすべてうまくいったわけではなかった。818年から825年にかけて、風のない竜巻がこの地を荒廃させ、何千人もが家を失った。帝国の余命も短かった(詳しくは『Glorantha』参照)。やがて930年に「大閉鎖」が“嘆きの海”におよび、海上交通が全く途絶した。島々のあいだの旅ですら危険になった。旅人は水の噴出、海の怪物、有毒の霧におびやかされた。しかし、スロントス大公国はその後何年にもわたって強大であり続け、日増しに強まる内陸部の反抗的なウェネリア蛮族らによる襲撃を耐え忍んだ。1050年、女神スロンタが寝返りを打って波間に沈むと、神知者とその帝国は致命傷を負った。数百の都市と町が消滅し、数百万人が溺死した。ほんのわずかな生き残りは西のラマーリアに逃げ出したり、わずかに残った陸地にしがみついた。こうした陸地は今ではウェネリア諸島、マニリア諸島と呼ばれている。
 地元民がほっとしたことに、「大閉鎖」はウェネリアを世界の他地域から切り離した。彼らは喜んで相争う元の暮らし方に戻っていった。ラリオスとエスロリアの間の原野に交易路を築いて勃興する交易王らをのぞけば、この地方は第三期のほとんどを暴力に満ちた眠りの中で過ごしてきたのである。
 1580年、“水夫”ドーマルが聖王国を発って、スリーステップ諸島に航海し、今では「大開洋」として知られる偉業を開始した。海岸沿いに航海した彼は、いにしえの港と人々を「大閉鎖」の恐怖から解放した。わずか数年の間で、海岸線には小さな都市や町が点在するようになった。この貿易の転換は交易王に犠牲を強いて、その気力を奪った。彼らの富なしには、ウェネリアにもたらされていたわずかな安定もやがて失われた。1609年、ルナー帝国からやってきた扇動者たちが、ディターリ族とエスロリア人との間に戦争を引き起こし、それは今日まで続いている。軍閥が勃興して隣人らをおそっている。これらの中でもっとも有名な者がグレイメインである。彼はソランシ氏族を統一すると、1614年にエスロリアに大規模な襲撃をかけて、多くの都市を略奪した。
 今再び、ウェネリアは紛争の大地となったのである。