イェルマリオ

 昔懐かしな話題ですが、モンローフの名が出てきたのでちょっくら掘り返してみました。
 今あちこち見ると、モンローフもバラザールもヒーロークエストで「蛮地の光の神」を拾ってきたんだなあ、と思えますねえ。これもKoDPとHW/HQのおかげ。
 以下は2000年の「グレッグはこう言った」のテキトウ訳です。

イェルマリオ
Q.バラザールで信仰されている神は誰? 「Griffin Mountain」ではイェルマリオだったけど、「グローランサ年代記」や「Enclosure #2」やイサリーズ社のホームページで言ってることと矛盾してるね。新しいソースではバラザールの神の名はサルカントゥスだそうだけど、そうすると「陽の天蓋寺院」の神っていったい誰なんだ?

A.イェルマリオというのは、ペローリア南部、特にアラコリングの諸部族で現在信仰されている神の一般名だ。ヒョルト人の間でも信仰されている。
 イェルマリオというのは本当のところ、その神の名前のひとつにすぎない。ちまたや公の場で使われる名だけど、もっと正確に言えば単に「イェルムの輝き」を意味する称号なんだ。この称号はダラ・ハッパでは、イェルムと呼ばれる超越的な光の核から力を得ている多数のいろいろな神々を指すために使われていて、使っている信徒や部外者はそういう神々をごっちゃにしてしまうんだ。
 もしきみが「グローランサ年代記」だけをソースに使うなら、イェルマリオとして知られる神は、ほんの60年くらいしかまだ信仰されていない。信徒たちはそう言っているし、他の連中にもそう信じさせたがっている。でもすべてのカルトがそうであるように、イェルマリオには多くの秘密があり、その中にはべらぼうに深いものもある。ここでは、問題をわかりやすくするためのいくつかの情報と、入信者と帰依者しか知らないこの神とカルトについてのいくつかの真実を明かしてみよう。
 陽の天蓋寺院は第一期と第二期にも存在しいた。そしてその会衆たちは今では一般に存在が知られていない神々をあがめていた。「Enclosure #2」(37ページ「陽の天蓋寺院の起源」)で報告されたとおり、第一期の寺院本来の守護神はデイゼネルスと呼ばれていた。大暗黒のさなか、蛮族たちに光の言葉をもたらすためアンティリウスによって送られた神だ。彼はイェルマリオとは呼ばれていなかったが、デイゼネルスの寺院は陽の天蓋寺院と呼ばれていた。それらの寺院はグバージ戦争の間にほとんどすべて破壊されてしまったし、復讐心に燃えるヒョルト人とトロウルがペローリア全土からデイゼネルスの名前を消し去ってしまった。この小神の名をあえて口に出そうとする者はいなくなり、彼への信仰は失われた。
 第二期になると、イェルマリオと呼ばれる新たな神がペローリア南部で発見されて信仰された。彼は信徒たちに光と祝福をもたらした。このカルトは裕福な農夫階級に人気があり、数多くの人々が信仰に加わった。イェルマリオの光を召喚できる聖地には新しい寺院が建立された。
 この神の名がサルカントゥスだということを知っていたのは入信者だけだった。最初の寺院を祝福するために使われたのはデイゼネルスの聖遺物だったことや、最大の寺院はかつてのデイゼネルスの寺院廃墟に建立されたのだということを知っているのは司祭たちだけだった。部外者は、この神はイェルマリオであると教えられ、その名は「小さな太陽」を意味すると説明された。
 EWFが拡大するにつれて、新たな陽の天蓋寺院が帝国の軍事力に加わり、その支配をペローリア、ドラゴン・パス、さらに僻遠のプラックスにまで広げる助けとなった。EWFが滅亡すると、こうした寺院の多くは破壊された。残った信徒のほとんどは真正黄金軍団に参加したためドラゴンキル戦争で殺された。ほとんどの寺院は廃墟と化すか、世界から孤立した。
 バラザールはイェルマリオ・サルカントゥスを信仰していた。バラザールはヴォタンキランドに入って、そこに彼の神の寺院を建立した。彼もやがて帰郷してドラゴンキル戦争で死んだが、未開のヴォタンキ狩猟氏族の間に城塞を組織していた。以後、彼らはバラザールの三人の息子によって統治された。やがて、その土地は英雄をたたえてバラザールと呼ばれるようになった。
 バラザールにおけるサルカントゥス寺院が生き残ったのは、それが基本的にバラザールの息子たちが治める町々で信仰される唯一の神だったからだ。その信徒は教えを守り、今日もこの第二期の宗教を保存してきている。よそ者たちが来たとき、彼らは公の場ではイェルマリオと呼ばれ、私的な場ではサルカントゥスと呼ばれる神を見いだした。
 プラックスでの状況もバラザールに似ていた。寺院はドラゴンキル戦争の破壊を生きのびた。大きな争いもない小さな前哨基地であったり、きわめて強力な神力の源だったからだ。何百年も過ぎるうちにその慣習と信仰は腐食し、自由農民は奴隷にされ、司祭の地位はこの寺院で呪術儀式をしばしば行っていたプラックスの遊牧民に奪われた。神の名とその祭儀はほとんど失われたが、彼はまだイェルマリオと呼ばれ、同じ強さの神なる光だった。古い祭儀をたずさえてドラゴン・パスから信徒がやってきたとき、それを待ち望んでいた神は彼らに力を与えて、異邦の祭儀を放逐し、かつて栄光を誇ったいにしえのカルトを復興した。
 サーターでは、偉大な英雄モンローフがカルトを創設した。彼はもともとオーランス人神殿の太陽であるエルマルを信仰していたが、別の光に導かれて、通常は太陽よりも上位に比されたオーランスの司祭と教義論争を行った。モンローフはサーターのターカロール皇子に、自分の神がエルマルよりも強力であることを証しだてよと挑戦され、そこでイェルマリオを披露した。証拠として、モンローフはキトリの征服を指揮し、ターカロールは彼に征服された広大な土地を与えて、新たな神とその信徒を敬い認めた。数千人の人々がエルマル信仰から離れてイェルマリオに改宗すると、故郷を離れてクリークストリーム川のほとりにある新たな拝領地に住みついた。モンローフはペローリア全土にちらばる他のイェルマリオの寺院らと定期的な関係を構築した。また、モンローフはパヴィスの近くに信徒を派遣して、そこにあった寺院に古い祭儀を復活させた。
 すべてのイェルマリオ寺院を治めるひとりの大司祭というものはいない。だが寺院らは、創設者の出身寺院の監督権を認めている。また、イェルム・カルトの司祭を霊的な上位者として認めている。バラザールの寺院には上位者はいない。なぜならバラザールに対する監督寺院も父祖の寺院も破壊されてしまっているからである。モンローフは、自力でイェルマリオに至ったため、監督寺院はないと主張した。パヴィスの寺院は、時にはドラゴン・パスの寺院を上位者として認めるが、時には反抗し、自分たちは伝統が証明しているようにモンローフより古いのだと主張してきた。