PCは特別か

 まりおんさんとことも関連しますし、アキトさんとこでも話題になっていますが、ここで言われている違和感に私も無縁じゃありませんのでちょっと考えてみたり。まあ、なんか各所で何千回も繰り返されていることを言ってるだけだとは思いますけれども。

世界を遊ぶ

 私が本格的にRPG三昧になったのは大学に入ってからなわけですが、学部生時代はブルフォレ、メガトラ、ルンクエ、クトゥルフストームブリンガー、てな辺りを中心にプレイしていました。古めの言葉で言うところの「第二世代」RPGなわけですね*1
 上記のようなシステムで提示されていた*2魅力的な*3世界の中に生きて冒険するキャラクターを作成・プレイすることで、周りに広がる架空世界を感じ満喫する、という遊び方、が好きだったし、今でも好きです。

主役を遊ぶ

 こういう楽しみ方は、N◎VAに代表されるように「PCが物語世界の中心にあり、それ以外はPCの活躍を理由付けして引き立たせるための情報」とする遊び方とは、楽しみのツボが違うような気がしますし、それが違和感、ひいてはRPGの遊び方を巡る千年戦争*4にまで至るのではないでしょうか。
 R以降のN◎VAの革新性はこの後者の遊び方を具体的にシステムとして提示したことにあると思います。
 ただ、前者のようにいわば「世界を遊ぶ」のが好きな人*5にとっては、ともすれば主役の活躍のために“ご都合主義”とも言えるような可塑性を持つこういうシステムでは、寄って立つ“世界”が見えなくなって、当惑してしまうのではないかと考えます。

セッション進行の違い

 仲間内でN◎VA-Dをプレイしてみて感じたことなんですが、前者のように「世界を遊ぶ」楽しみ方だと、セッションの基盤となるのはその架空世界の法則・設定になります。実際には個々のGMが世界の一部を切り取って冒険の舞台として提示するので、プレイの進行としては自然に「GMがシナリオに沿って状況描写 → PLが状況に対しリアクション → リアクションに対してGMが変化した状況を描写 →and so on.」となります。主にGM主導のセッションになりますね。
 後者のように「主役を遊ぶ」楽しみ方だと、セッションの基盤となるのは、主役たるPC、ひいてはそれを操るPLたちの嗜好になります。もちろん、舞台を提供するのはGMですからGMの嗜好も強く反映されますが、セッションの推進力はPLの活躍したい方向性、具体的には個々のシチュエーション設定になります。ですから、進行としては「GMがシナリオに沿ってシチュエーションの大体の枠を提示*6 → PLがGMの提示を踏まえつつ、やりたいシチュを提示する → GMがシチュを設定 → PLがPCの活躍シーンをプレイする → and so on.」となるでしょう。これだと主にPL主導のセッションということになります。

 正直な話、どちらもTRPGとは称されているけれども、まるっきり違うゲームなんじゃないかと思っています。そこんとこをはっきりさせて摺り合わせをしておかないと、最近よく遣われる「事故」という事態になるんじゃないでしょうか。
…………ううむ、今ひとつまとまらない上に月並みなことをずらずら書いてるような気がしますが、とりあえずそんなとこです。

*1:WoDは学部生終わってからでしたから。

*2:当時のマスタリングガイドなどで。

*3:実際にはそれほど緻密ではなかったりするけど、雰囲気や方向性がおもしろい。グローランサやブルフォレはそうですね。

*4:2chなどで多発してますね。

*5:そしてそれがRPGの遊び方だと思っている人

*6:ハンドアウトとか“ぶっちゃけ”とか。