三つの戦い

 リベルテに登場する会戦について覚書。
 2年ごとの戦いですな。ということは1ターン2年ということで、第1ターンは1790年にあたりますね。憲法制定議会を経てブルジョワによる91年立憲王政体制ができるまでですな……なるほど、1ターン目に穏健派と王党派が強いわけだ。

第2ターン:ヴァルミーの戦い

1792年9月20日
 主戦派ジロンド派政権がオーストリアに宣戦したものの、フランス軍は連戦連敗であった。そんな中、国内深く侵入したブラウンシュヴァイク公率いるオーストリアプロイセン連合軍7万と、デュムーリエ、ケラーマンの両将軍率いるフランス軍(正規兵と義勇兵の混成部隊)5万は、マルヌ県ヴァルミー村で激突した。
 激闘8時間、豪雨の中でついにプロイセン軍は退却。農民・下層市民主体の義勇軍がはじめて列強の正規軍に勝利した歴史的事件となった。プロイセン軍に従軍してこの戦いを目にした文豪ゲーテは「この日この場所から世界史の新しい時代が始まる」と書いた。

第3ターン:フリューリュスの戦い

1794年6月26日
 この戦いは、ザクセンコーブルグ公率いるオーストリアの大軍が、オランダに進出したフランス軍に攻撃をしかけたことで発生した。また、上空偵察を初めて行った戦闘のひとつとしても特筆すべきものである。
 ザクセンコーブルグ公の正規兵5万は、ジュルダン将軍率いる7万5千の義勇軍に襲いかかったが、その拙劣な攻撃にジュルダンはすばやく反撃した。というのも、彼は軍用気球を使ってオーストリア軍の動きを偵察していたのだ。
 約六時間にわたる戦闘はフランス軍の勝利に終わり、第一次対仏大同盟に深刻な打撃を与え、オランダにおけるオーストリアの支配に終止符を打った。

第4ターン:アルコレの戦い

1796年11月15〜17日
 ナポレオンの第1次イタリア遠征に伴う北イタリアでの戦い。
 オーストリア軍を相手とする遠征でナポレオンは連戦連勝を重ねてミラノ入城を果たすが、やがてオーストリアの援軍が到着し、フランス軍は苦境に立たされる。秋の攻勢にさらされたナポレオンは、アルコレ橋をめぐる死闘を展開した。
 1日目にナポレオンは自ら旗を握って橋襲撃の陣頭指揮をとった(このとき彼は川に転落している)。続く2日間はフランス軍が進出して、オーストリア軍に撃退されるの繰り返しになったが、最後はマッセナ、オジュローの両将軍が渡河に成功。オーストリア軍は挟み撃ちを恐れて撤退した。