ファーストコンタクト

 Vampire.Sさんが昨日のコメントで言及されていました点について、第二章まで読んだ時点でわかる範囲で:

テラン人の人種的多様性

 とりあえずヴィラニ人は、テラン人とのファーストコンタクト時は、あまりにいろいろな人種がいるために「非ヴィラニ系人類種族の野蛮な恒星間連合体に遭遇したにちがいない」と思っていたそうです。
 ちなみに、バーナード星への歴史的な最初の恒星間探検を行ったのは、「スターリーパー・ワン」という巨大宇宙船でした。アメリカ合衆国が発起人となって、UNSCA(国連宇宙調整局)のお墨付きを得て、国際共同プロジェクトとして打ち上げられました。リーダーはアメリカ人の女性飛行士ロレット・キャスリン・ストライダー船長でしたが、他のクルーは主に政治的理由から、日本も含む宇宙開発諸国から集められた人種的に混成の集団でした。ヴィラニ人が上記のように思ったのもそのせいでしょう。
 人類の起源についてですが、ヴィラニ人との接触後、恒星間戦争期にはテラン人の科学者たちは、太古種族による播種計画があったのではないかという仮説にまで至っています。ただ、後世のソロマニ仮説のような決定的な証拠があるわけではないようです。
 ヴィラニ人は実用主義な種族なため、人類の起源という命題に深い興味を寄せる者はほとんどいないそうです(゚∀゚)

スターリーパー・ワン計画

 実のところ、2088年にテラン人初のジャンプ・ドライブがUNSCAの研究センターで開発されたとき、何に使うのかテラン人は困りました。というのも、当時可能なジャンプ−1で到達できる星系はテラの周囲にひとつもなかったからです。そういうわけで、ヨーロッパ連合は以前から進めていた世代宇宙船計画を続行しました。しかしアメリカはジャンプ・ドライブで自国の威信を高めようともくろみました。
 かくして、「スターリーパー・ワン」計画が策定されました。それは、ジャンプ−1で到達できる空域にジャンプ中継点となれる放浪惑星や褐色矮星を見つけ、そこからバーナード星(テラから2パーセク)へ飛ぶ、というものでした。幸運にも、有力な放浪惑星が見つかりました。ジャンプ・シップを数回そこへ往復させることで、このジャンプ中継点に燃料基地を築くと、2097年、ストライダー船長に率いられたスターリーパー・ワン号はテラを飛び立ちました。一年後、戻ってきたクルーは驚くべきファーストコンタクトの報せをテラにもたらすことになりました。

キマシャルグル派の移住

 証拠はファーストコンタクト期にはもう残っていないのですが、ヴィラニ人がテラに早い段階で到達し、移住していた形跡があります。ヴィラニの偵察隊は相当深宇宙にまで到達していたようですから……。
 ヴィラニ帝国は最初、恒星間戦争期とは違って大胆で進取の気性にあふれていたヴィラニ人によって、周辺に跋扈してヴィラニ文明をおびやかしそうな「蛮族」を平らげるべく拡大を続けました。これを「併合戦争」時代といいます。
 ヴランドからテラに向かう銀河辺境方向にもこの侵略は行われたのですが、帝都からの遠大な距離のせいもあって、征服と移住はゆっくりとしか進まず、ジル・シルカが成立して拡張政策が完全停止されると辺境の後背地になりました。
 ジル・シルカは伝統と慣習で社会を固定することで広大きわまる恒星間帝国をまとめる政策をとりましたが、それに異論を唱えるグループも少なからず存在しました。その中でも大きな勢力を誇ったのが、いにしえの宇宙進出と技術革新の時代を理想とする「キマシャルグル」派でした。運動を危険視した帝国当局によって弾圧された彼らは、銀河辺境方向の国境外へと亡命しました。そして、帝国の許可なしに新規に世界を開拓して、キマシャルグルの恒星間国家を築きました。こうして開拓された世界には、後に辺境の主要世界となるディンギルやガシッダ、ヌスクといった星系が含まれていました。
 結局、このヴィラニ人国家は帝国の討伐艦隊によって短期間で滅亡しますが、多くの者がさらに遠くへ移住し、残った者も根強い帝国中部への反感と独立志向を保ちながら数千年後の恒星間戦争期までキマシャルグル派は生きのこりました。後に地球連合が急速に勢力を拡大できたのは、こうした反体制派の末裔たちが多くの世界でテラン人に協力したからです。
 ただ、キマシャルグルの国家が成立したのは、西暦1000年ごろのことなので、シュメール文明との関連性は薄いかもしれません。
 補足ながら、バーナード星でテラン人とファーストコンタクトを果たしたのは、これまた帝国の許可なく国境外に探鉱基地を築いていたキマシャルグル系反体制派のヴィラニ人の皆さんだったそうです。実に縁が深い。