クリュニー修道院


道徳の荒廃と群雄の割拠によって引き裂かれた西暦1000年当時のキリスト教ヨーロッパでは、多くの人々が、6世紀の聖人ベネディクトが創始した清貧な修道生活にあこがれました。そしてフランスのブルゴーニュ地方クリュニーにあった大修道院を中心とする会で、何百人もの修道士たちが俗世のわずらいを離れて宗教生活を送ったのです。
文字通り、修道院運動の核心となったクリュニー修道院は、909年、当時のブルゴーニュ公ギョーム敬虔公と初代修道院長となったベルノーによって建立されました。この修道院は、世俗権力の掣肘を受けず、教皇のみに責任を負いました。他の貴族たちもこれにならい、フランスで修道院によるキリスト教復興運動が花開いたのです。
各地に建立された修道院は、いずれもベネディクト派の規範にもとづくクリュニー式の典礼や生活方針を踏襲したため、ほどなくクリュニーは修道院の総元締めとして、大諸侯にも匹敵するほどの影響力を持つに至りました。そして、こうした修道院は、外界を席巻する戦乱と無知の嵐の中で、防波堤となり知的避難所となる役目を負ったのです。
クリュニー修道院は、10〜11世紀の二百年の間に5人の院長を置きました。西暦1000年当時の院長はオディロ院長で、クリュニー派修道院の数を37から65に増やしておおはばに運動を拡大しました。