マグヌス痩身公(1045-1111)*1

若くしてザクセン公爵位を継いで以降、国内外での威信を高めた一代の英傑。
即位後まもなく難病にかかり、晩年には回虫の害に悩まされたため、瀕死と見えるほどやせ細った体躯をしていた。しかしその実、海外遠征にも親征をいとわず、将兵からの人気と信頼はたいへん篤かった。
リューベックに盤踞する異教徒部族を追い払ってバルト海に道を拓いた後は長らく国内政策に力を入れたが、晩年になってローマ法王から異教徒征伐の勅が下されると、バルト海沿岸のポメラニア蛮族をドイツ王ブランデンブルク公とともに討伐。一方でドイツ王デンマーク王が対立する隙をついて、ユトランド半島全域を膝下におさめ、シュレスヴィヒ公爵を名乗った。また、南独ニーダーバイエルン地方の伯爵位も継承した。
味方には気前がよく、敵とも話し合って許すだけの度量を持った君主であったが、常にいかめしく笑みを見せぬその態度は、痩せた風貌とあいまってひどく寄りつきにくい印象も与えたという。
西暦1111年6月14日、バルト海東岸のサムジチア人討伐のさなかに陣没。生涯に2人の妻をめとり、3男4女をもうけた。