「時」*3

「時」とは何であるか、ということはグローランサ世界を考える上で最も重要な命題のひとつである。
RQにおいては、神知者による単一神話による説明が行われていたが、それが全世界的に通用するものではないことは、その後出された種々の資料から明らかである。
例えば、ダラ・ハッパ太陽文明においては、イェルムの皇帝即位以来連綿として続く太陽帝国の系譜が、いわゆる「時」の役割を果たしている。ダラ・ハッパ人は、「イェルムの統治開始から何年」という形で、因果律の流れを理解しているのである。彼らの時間感覚はリニアーなものだといえるのではないだろうか。
一方で、ヒョルト人の時間感覚は循環的なものである。これは、彼らの暦が世界の滅亡と再生を繰り返す過程を再現していることからもわかる。RQ時代では太陽暦という形でオーランス人の年表も語られていたが、循環的な時間認識を持つヒョルト人が実際にそのように厳密な年代把握をしているとは考えにくい(そもそも彼らにとっては筆記記録というものは極めて非主流的な技能である!)。せいぜい「父の若かった頃」「○○王の御代」「○○の事件が起こった頃」というような漠然とした認識にすぎないのではないか。